初代日本支社長ブライアント・ワズワース氏

今日はモリンダ最高研究開発責任者の

勇さんのfacebookからお届けします。

勇さんは、8月中はアメリカのユタに行っています。

勇さん

◆勇さん(8月22日)より

娘をつれてブライアンさんのところへ行きました。

娘には「父さんが尊敬している人」と

ブライアンさんのすごいところを

たくさん話して聞かせました。

 

奥様のジャネットさんが、

モリンダ日本支社で働いている頃の話を聞きたいというので、

フェースブックに寄せられた

皆さんのメッセージをひとつひとつ訳して伝えました。

 

途中、涙が出そうになっちゃいました。

尊敬できる人がいるというのは、

心に大きな柱が立っているようなもんです。

 

◆萩原より:ブライアントさんは、

モリンダの初代日本支社長を務められた方です。

 

外交官として長年日本にお住まいで、

大統領賞を3回受賞していて、

多大なる功績を残された方です。

昭和天皇がアメリカに行かれた時は通訳を担当されました。

ブライアント

(左から2人目がブライアントさん)

 

◆勇さん(4月17日)より

ブライアントさんに会ってきました。

病状が進行し芳しくないと聞いていましたが、

僕の目をじっと見てくれて、

最後は手を振って「さよなら」と言ってくれました。

 

ブライアントは米国の次官を務めた方ですから、

素晴らしい方々と親交を持っています。

そういう方々との会合に、僕を連れていってくれました。

 

いつも、「イサミさん、

can you behave yoursel?

(おぎょうぎよくできる?と、

親が子どもに言う言葉です)」

と尋ねたのを懐かしく思います。

 

ブライアントさんは質素な人です。

仕立ての良いスーツでもないし、

私服は農家みたいだったし、

通勤はママチャリでした。

 

偉い方との会合はカレーライス。

これは彼が若い頃に両親を亡くしたことに起因しているようです。

 

彼は日本を愛し、日本人を尊敬しています。

質素ながらも誠実に生きる姿が彼の信条に重なったからでしょう。

 

奥さんのジャネットさんは介護や家事で大変だと思いますが、

とても幸せそうに寄り添っています。

 

こういう夫婦になりたいなぁと思います。

 

昔からブライアントさんの周りには、

幸せが集まってくるかのようです。

 

まわりの人々が幸せになる特別な力が備わっているかのようでした

 

僕は心からブライアントさんを尊敬し、

彼の資質をひとつでも取り入れたいと思っています。

 

そのことを家族にも伝え、その伝統が子どもにも伝わればいいと思います。

 

ブライアントと縁ができたのは、不思議なことです。

 

弟のジョンさんが辺鄙なヌクヒバの谷でノニを見つけなければ、

僕はブライアントさんを知ることはなかったでしょう。

 

僕は会社で製品開発を担当する立場なのですが、

ノニの神様がいたとするなら、

「わたしをどんな新商品にしてくれるのかしら?」と

ワクワクしてるとは思えないのです。

 

それよりも、

「わたしを通して、どんな人がどんな人と結びつくのだろう?」と

ワクワクしているような気がします。

 

科学者らしくないのですが、

ブライアントに会えたのはノニの神様のおかげなのかな?と、思ったりします。

 

◆萩原より:

1999年の虎の門パストラルホテルでの

モリンダ日本支社オープニングパーティーには、

農水省、厚生省、環境庁、日本銀行、

食品会社のトップ(日清製粉・丸紅・明治製菓他)、

アメリカ農産物輸入団体トップ、

アメリカ大使館公使が、

お祝いに駆けつけて下さいましたが、

これはブライアントさんとの交友関係で集まってくださいました。

私も参加させていただきましたが、

凄い会社にご縁することができたなと感動しました。

 

ブライアントさんは、いつも優しく「ハギハラさん」と声を掛けてくださり、

私のブラックパール達成祝賀会にも参加してくださいました。

 

本

私たちは、出版社に依頼して、

ブライアントさんの「信念の人」を出版し、

その後、黄木社長にも登場いただいて

「続 信念の人」を出しました。

読んでみたい方は、萩原まで連絡ください。

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