思うようにいってなくて解決策は必ずある

【名言】

どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。

救いのない運命というものはない。

災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、
救いの道を残している。

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ

【解説】

これこそ、最高の救いの考え方です。

絶望的な状況でも必ず扉があり、救いの道に
出ることができる。

あとは、想像力を働かせるのみです。

メルマガ抜粋

~☆☆☆~

石田より

人生はまったくその通りではないかもしれませんが、
想像したとおりになっていきます。

どんなに今が思うようにいっていなかったとしても
あきらめない限り道もあります。

私が大学受験で2浪目は暗い光の見えない
トンネルに入ってしまっている心境でした。

夏場に骨折してしまい、勉強も手がつかず
食事や洗濯はおばさんがしてくれていましたが、
小遣いは1万でやりくりしていましたから、
4畳半一間で遊びに行くお金もあるわけではなく、
このままどうなってしまうのだろうと悶々としていました。

そんな中でも大学で合格して野球を思う存分
やっている夢を描いていましたが、
現実はリハビリして足を治すことで精一杯な
毎日でした。

それでも足も治りようやく歩けるようになった3浪目から
自分なりに英語の暗記法を工夫して丸暗記できるようになり、
4浪目河合塾に合格してそこからがようやく本当の意味での
受験勉強が始まった感じで4年かけて大学に受かる事ができました。

自分の目標は1流の大学に受かるのが目的でなく、
大学で野球をやるのが目的でしたからそれは
叶えることができました。

ただ、情報不足で硬式野球部に入ることができず、
失敗することになりました。

それでも
30歳までは野球選手になる事を夢見て、就職の内定をけり
コンビニでバイトを続けながらトレーニングジムに通い
毎日素振りをしたりしていました。

ただ、今考えるとチームに入って野球をやる場がなく、
結局は中途半端でした。

30歳に差し掛かって、どうなってしまうだろうという気がありました。
その時に失恋も重なり精神的に弱って、バイトをやめることになりましたが、
生活していくために築地の冷蔵庫で働きながら生活をすること
選択しました。

朝5時から12時までの仕事だったので、午後から自分の夢を
叶えるために時間が使えると思ったのです。

築地は第二のろう獄といわれていて大学出の私がそこで働くなんて
よっぽど世の中不景気なんだなと働いている人から言われもしました。
私は違うんだけどと思っていましたが、精神的にまだ立ち直っていなかったことと
あまりの環境の悪さから入って1年目からやめたいという気持ちがありました。

ただ、生活もしなければいけないですし、すぐにやめてしまったら
なぜかまた同じ繰り返しをしてしまうのではないかと
思い、3年は頑張ろうと決めました。

そう決めて、午後の空いた時間でトレーニングを続け
ネットワークビジネスにチャレンジしていました。

思うように入っていませんでしたが、ようやく3年たったころ
モリンダに出会い、いけると思い、ネットワークビジネスも詳しくなり
準備もできていたので、躊躇なく動くことができ、
メンバーが現れ、どんどんリクルートができ
1年半で大きな流通が起き独立することができました。

そこから20年間試行錯誤でやり続ける事で、今おかげで
コロナの状況でも継続的収入が入ってきています。

さらに自分を高め、次のステージに上がりたいと思って
毎日自分を管理し、自制してコントロールしけるように
自分を訓練しています。

井戸水のように途中まで頑張っていても
やめたら噴き出るところまで来ていたものが戻ってしまいますが、
休むことはあったとしても歩みを止めなければ、
いつか噴き出すときが来る可能性はあります。

何もしなければ、何も変わりませんが、
時間と労力を惜しまず自分を高め
成長していれば人生も大きく変わるときが
きます。

それを信じて自分にお金と時間を投資し続けましょう!

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