石田友喜さん

石田友喜さん

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私の出身は八丈島です。
小さい頃はのびのびと野球少年として育ちました。
小学高学年からプロ野球選手を目指して、週に一回の少年野球チームの練習と夕方は親にノックをしてもらい巨人の星の星飛雄馬に憧れて小学生から鉄アレイでトレーニングをしたり、腕立て伏せをしたり、マラソンをしたりして足腰を鍛えていました。
運動は得意なほうでしたが、勉強は得意なほうではなく、大学受験で4浪してしまったほどです。

大学を卒業しても野球選手になる夢を捨てきれず、就職はせず、フリーターの道を選んで、30まで頑張っていました。
さすがに30差し掛かったときは何も方向性が決まってない自分に不安を感じていました。
このまま自分はどうなってしまうのだろうと思って、努力はしているのだけど思うようにいかない結果に不安が募り、ある歌を聞きながら、布団の中で涙する時すらありました。
私は何がしたいのだろうと何のために生まれてきたのだろう、このままどうなってしまうのだろうと考えていました。
毎日、バイトかジムに通ってトレーニングに明け暮れる毎日でした。
一時期、ある出来事で精神的にまいって、バイトをやめてしまったこともありました。
ここで負けてはいけないと思い、パチンコ屋でバイトを始めたものの、やりがいを感じず3ヶ月でやめてしまいました。
そのあとは築地で働きはじめました。
朝5時から12時までの仕事なのですが、朝の始発がないので、夜の終電までに出て、夜は仕事場のプレハブ小屋で寝て、朝4時45分起きて即効で着替えて、仕事するという毎日でした。
1年目にやめたいと思いましたが、そこで負けたらいけないと思い、3年は辛抱しようと思いました。
その後辛抱して、生活のために働きながら、いろいろなビジネスにチャレンジしていました。
私は野球がダメだと思ったので、30代にどんな人生を手に入れたいかと考えたときに30代で独立し、経済的自由を手に入れて、夢を持ち続けられる人生を手に入れたいと思っていました。
諦めなければ成功すると信じて、目先は思うように行かなくても、やれることをコツコツとやっていました。
33歳のときにビジネスチャンスに出会い、35歳くらいで独立し、今の妻とも出会い、2年の同棲ののち、ささやかな結婚式をあげることができました。
それから、14年経ちましたが、今では不動産を4件持ち、事務所も持てるようになりました。
こうしてセミナー講師をするようになったのも、潜在意識の無限の可能性を知ったからなのです。

成功する人と成功しない人の差は考え方だと言いますが、ほんとにそうだと思います。
ただ、分かっていてもできないのは、潜在意識の仕業だったのです。
潜在意識のメカニズムを理解し、活用していけば、思うような人生が手に入りやすくなり、人生は自分次第だと分かっていきます。

潜在意識のことを知らずに活用しない人生と活用した人生ではきっと今までの何倍もの成果を手に入れることでしょう!
そのことを多くの人に知ってもらい、より多くの人が幸せで豊かになっていけば、経済も回復していくのではないかと思っています。

 

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